文明開化以来、日本は欧米列強に肩を並べるべく、「富国強兵」を合言葉に、がむしゃらに頑張って国作りをしました。
条約ひとつ締結するにも対等にはほど遠い条件を飲まざるを得ない、極東の蛮国としか思われていない、周辺国が次々とヨーロッパの植民地にされて行く、そんな状況下で、国を守るために、国際社会での日本の地位を上げる事が急務だったのです。
最初は、それまでの日本を全否定し、欧米の模倣をする事から始まりました。
政治や統治システムや社会インフラはもちろんの事、産業や文化までをも模倣しようとしました。
文明開化に伴って、産業革命も日本に入り込んで来ました。明治の中頃には、農家の娘さん達が製糸工場へ出稼ぎに行く様になります。
欧米に1世紀遅れで始まった日本の産業革命は、その後たったの半世紀で欧米に追いついてしまいました。
やがて模倣の必要もなくなり、生糸の輸出が盛んになり、外貨がどんどん日本に入って来る様になりました。
昭和に入ると国力もついて来て、日本独自の資本主義スタイルを探る様になります。
そして作り上げられたのが、次の様なシステムでした。
まさに、大量生産・大量消費のための、究極の社会システムです。
これらは1941年に整備されたので、これを昭和16年体制と呼びます。
資本主義を支えるためには年金制度も不可欠なので、日本初の年金制度もこの時に作られました。
最後の仕上に、資源の調達先を欧米に奪われて日本国内の工業が壊滅してしまうのを防ぐために、日本は先手を打って戦争を仕掛けましたが、見事に負けてしまったのは皆さんご存知の通りです。
昭和16年体制は敗戦を経て部分的にはGHQに修正されましたが、戦後日本の驚異の復興を支える強力な原動力となり、日本は世界一の工業大国になって行きました。
現在の日本も、この昭和16年体制で社会が回っています。
女工さん達がせっせと稼いだ外貨は、戦艦大和の建造費となり、海のもくずと化しました。
扱うテーマが「年金」と言う制度と法律に関するものではあるのですが、概念的な部分を取り上げるため、どうしても厳密さや正確さに欠ける傾向にあります。ですから、何かの判断の参考にする場合や手続きを行う時は、必ず別の情報源でも確かめて下さい。このページの記事により損害が発生しても、補償は一切いたしませんので、あらかじめご了承ください。