文明開化以前の日本は家内制手工業でした。
農業も工業も商業も、各家庭で各自それぞれがそれぞれの労働力を持ち寄り、家庭での仕事を支えていました。
現在の資本主義社会の様に「100%バリバリで働けるうちが現役である」と言う考え方はこの頃にはなく、幼い子供も子供なりに、老人も老人なりに働いていました。労働に関する限りは、老若男女の区別のない社会でした。
また、特に農業では村人総出の仕事も多く、村全体が運命共同体でした。
そう言った意味から、この頃は家中心・地域中心の社会だったと言う事が出来ます。
中にはめでたく長生きし過ぎて、働けなくなった老人もいたでしょう。その様な老人は、家庭や地域に養う余力があるなら、知恵袋としての役割を与えてみんなで面倒を見たでしょう。もしも養う余力がなければ、口減らしの対象になったと思います。(全国各地に姨捨山伝説が残っているのが、それですね)
もっとも、平均寿命が30〜40歳程度でしたから、完全に労働能力を失うまで長生きする人は非常に稀だったと思います。
働けない幼児は、将来の投資のつもりで食べさせてやる事が出来ましたが、働けない老人はなかなかそうは行きません。この時代でも、働けなくなるほどの老齢は、大きなリスクとなりました。
しかしそのリスクは、家庭や地域が抱えるものだったので、現在の様に高齢者本人が個人で抱え込むものではありませんでした。その分だけ、当時の方が今よりもリスク分散が上手く行っていたのではないでしょうか?
本当に老人を山に捨てていたのかと言うと、ちょっとばかり話がマユツバっぽいらしいです。でもおそらく皆無だったと言う事もないでしょう。
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