ここに、ひとりのお婆さんがいます。名前はヨネさん、81歳。
ヨネさんは、体はそこそこ動くし口も達者です。しかし、自家消費分の野菜を育てるのがやっとで、若い頃の様にビシバシと大根やネギを出荷する事は出来ません。
ヨネさんに自分で稼ぎ出す能力がない以上は、誰かがヨネさんを養わなければなりません。
では、誰が養うべきなんでしょうか?
かつての江戸や明治の日本なら、働く能力がなくなるまで長生きする人は珍しかったでしょう。しかし今の日本では、ほとんどの人が、現役を引退した後に長い長い「第二の人生」を送る様になりました。
たくさん出現する事となった「働けない人々」のために、私達は何らかの形でその人達を養うためのお金を負担しなければなりません。
子が親を扶養するにしても(親を食わせるために出費がかさむ)、自分で貯金するにしても(将来のために買いたい物を我慢する)、地域や社会で支え合うにしても(税金と言う形でお金を負担する)、何らかの負担をしなければならない事には変わりありません。
年金と言うシステムは、そんな老人達を養うためのひとつの答として作られたものです。しかし、唯一の答ではなく、正解でもありません。あくまでも次善の策です。
しかし次善の策と言えども、現在の年金制度がスタートしてから半世紀になり、それなりに日本国の社会に根づいて、それなりに機能しています。年金が支給されるからこそ老人達が自立出来る様になり、私達も親への仕送りをしなくて済む様になりました。
年金が危ないとか、負担が重いとか言う事で「いっそ年金なんかなくてもいいんじゃないか」と言う声をたまに聞きます。しかし、現にヨネさんがここで生活をしている以上は、たとえ年金がなくなったとしても、私達の負担には変化はありません。
年金に代わる何らかの制度を作るにしても、子が親を養う社会になるにしても、若い頃に貯金しなかったたくさんの老人が生活保護を受ける様な社会になってしまうにしても、私達は何らかの形で、それらのコストを負担しなければならないのです。
年金は上の(1)(2)(3)の要素を全て含んでいます。
扱うテーマが「年金」と言う制度と法律に関するものではあるのですが、概念的な部分を取り上げるため、どうしても厳密さや正確さに欠ける傾向にあります。ですから、何かの判断の参考にする場合や手続きを行う時は、必ず別の情報源でも確かめて下さい。このページの記事により損害が発生しても、補償は一切いたしませんので、あらかじめご了承ください。