■年金講座 少子化
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年金は本当に破綻するの?〜若者のための年金講座

番外編 4

少子化

 現在、年金が「将来どうも怪しいらしい」と盛んに言われている原因は、1にも2にも小子化にあります。
 この少子化、諸外国でも共通の問題なのだが、と言う所まではこのページで以前紹介いたしました。

 少子化が特に深刻な国は、先進国では日本(1.29)とイタリア(1.26)とドイツ(1.40)、東アジアでは香港(0.94)・台湾(1.24)・シンガポール(1.25)・韓国(1.19)そして日本となっています。(数字はいずれも、2003年の合計特殊出生率)

 ここ最近、東アジア圏では出生率の低下が急激に進んでいて、その原因としては

  1. 急速な発展に社会システムが追いつかない
  2. 新しい価値観と東アジア的価値観とがせめぎ合っている
  3. 日本と韓国では不景気が長年続いている

などなどの分析がなされている様です。

 一方で、先進国の顔触れについて見てみましょう。
 日本とイタリアとドイツです。

 この三国、どこかで見た組み合わせですよね。
 私達社会保険労務士の間でも「少子化は日独伊三国同盟のタタリじゃ」などと、よく冗談交じりに語られます。
 この三国は、第二次世界大戦の敗戦国なのです。

 日本では、出生率が2人を割り込んだのは1975年で、かなり以前から少子化は始まっていました。それなのに、国が少子化対策を考え始めたのが1990年からで、対策はかなり後手々々に回ってしまっています。
 予算の使い方ひとつ取っても、国家予算に占める高齢者対策と小子化対策の割合は48%と3%で、大変大きな開きがあります。欧米だと、これが大体30%と10%になるそうで、日本は諸外国に比べて「老人に甘くて子供に厳しい国」と言われているそうです。

 どうしてこんな事になってしまったのでしょうか?

 日本では敗戦以来、多産を奨励するのがご法度となっていました。国が「子供を作る事はいい事だ」と宣伝すると、どうしても戦前の「産めよ殖やせよ」政策に結びついてしまいます。「日本軍」や「原子力」などと同じ様に、「多産奨励」は戦後日本にとってアレルギーな言葉となってしまったのです。
 そのために、国は「少子化が進むと大変な事になる」とわかっていながら、のっぴきならない所に来るまで知らん顔を続け、現在でもなかなか小子化対策には本腰を入れられないのではないでしょうか?
 そんな国の態度と、戦後にアメリカが教えてくれた「選択の自由」の風潮とが相まって、日本の小子化は急速な勢いで進む事となってしまった様なのです。


 日本には育児介護休業法と言うのがあって、労働者が育児休業したいと言ったら会社は拒めない事になっています。(一部例外有)
 しかし実際には、育児休業を取るのは女性ばかりで、男性が育児休業を取る事はほとんどありません。

 当たり前ですよね。

 子育てを理由に長期欠勤なんかしようものなら、会社の業務に支障が出るし、おそらく会社は代わりの働き手を手配するでしょう。
 となると、育児休業が終わて会社に戻ったら、かつての自分の席には別の人が座っている事になります。出世コースから外れるのは確実だし、下手をすると休業を理由にクビになるかも知れません。(もちろん、法律上は育児休業を理由に不利益な扱いをするのは絶対禁止ですが、何か別の事を口実にされてしまうかも知れない)

 なら、女性はどうして育児休業を取れるのでしょうか?
 出産前後はどうしても会社を休まなければならない(法律では、出産直後の女性を働かせるのは絶対禁止)と言うのがあって、そのまま育児休業に突入するケースがほとんどと言うのもあるのですが、一方、女性の仕事は男性の仕事と比べて、特にスキルや技能を必要としないものが多いから、と言うのも理由のひとつになるのではないでしょうか?
 その人が育児休業を取っている間、会社はちょっとアルバイトを雇えばよいわけで、育児休業が終わって会社に復帰しても、自分の居場所がなくなっていると言う事もありません。

 この様に男性と女性では、仕事の内容にはっきりとした差があります。
 もちろん中には、男性ならでは・女性ならではの仕事もあるでしょうが、それは例外に過ぎません。厳密に考えると、性別がその仕事をする上での絶対に必要な条件だと言う仕事は、そんなにあるものではありません。(バニーさんは女性でないと勤まらない、とか)それが証拠に、昨今では男性の職場に女性が進出するのが珍しくなくなって来ています。
 でも、女性の職場に男性が進出と言うのはとんと聞きません。

 私などは、体調が伴わないので残業がある仕事には就けないのですが、一方ではパソコンのキーボード打ちがべらぼうに早いので、そう言う仕事がないかと探してみた所、「それって女の仕事だろ?」と言われて涙をのみ続けていた頃がありました。
「男でないと」と言う仕事は減って来ているのは確かなんですが、今でも「女のする事」は従来のまま存在し続けているわけで、「家庭派な夫になりたい」とか「子育ての間だけでも」と言う事で、その様な仕事に男性が就く事が出来ないのです。

 家庭内を見てみましょう。
 たとえ共働きだったとしても、家事をするのは女性です。子育ても女性です。

 当たり前ですよね。

 外での稼ぎが多いのは夫の方です。男性は女性と比べて責任のある仕事をしているので、女性よりも疲れて家に帰って来る事になります。家に帰ってからは何もしないで転がっているだけの、トドになってしまう夫も多いでしょう。

 家庭内の事に気を使ってくれる男性なら、子供をお風呂に入れる位の事はするかも知れません。ひょっとしたら、オムツ交換も夫の分担にしている家庭も、まれにあるかも知れません。
 でも、炊事をしたり皿洗いをしたりと言った事までやっている人がいるかと言うと、これもとんと聞きません。
 女性も、仕事をしたらその分だけ、それ相応に疲れて家に帰って来ます。夫の方が疲れているからと言う理由だけで、家での仕事が100%妻の担当になると言うのは、やっぱり理不尽でしょう。
 子供が生まれようものなら、生まれて数ヶ月は子供と一心同体だし、その後もつきっ切りの養護が必要です。家事どころじゃない大変な状態がしばらく続きます。しかし、それでも家事が夫の担当になったりはしません。

「おひとり様」が増えているのも、子供を持たない夫婦が増えているのも、この辺に原因がある様なのです。
 高学歴化も相まって女性の働く場所が広がって行き、稼ぐ女性が増えています。
 しかし、家庭に入った途端に、この様な男尊女卑な環境に置かれてしまい、生活の質がいきなり悪くなります。子供でも持とうものなら、それがもっとひどくなります。
 だったら「子供を持たないでもいいじゃないか」とか「結婚なんかわずらわしい」と考えてしまうのも、無理はないでしょう。

 日本を含む東アジアの少子化問題は、この点に根っこがあると言われているそうです。
 この点が改まらない限りは、どれだけ予算を投入しても、どれだけ施策を打ち出しても、少子化が改まる事は決してない、とも言われている様です。
 国も、この男女差をなくすべく、男女雇用機会均等法を作って仕事の差をなくそうとしています。(おかげで女性が男性の職場に進出して行くきっかけにはなりましたが)
 また、(元)安室パパやパパイヤ鈴木を起用して、男性の子育て参加を啓蒙するキャンペーンをやったりもしました。
 どこかの地方自治体などは、民間への手本になるべく、男性職員の育児休業取得が強制になってしまった所もあります。

 しかし、いかんせん、この「女のする事」って言うものは、文化に根差したものなのです。これが改まるには、世の中がひっくり返る様な何かとんでもない事変が起こるか、でなければ、数十年の長い時間が必要となるでしょう。


 戦後、アメリカンスタイルな価値観が入って来てから、私達の選択の自由が広がりました。
 結婚するのが当たり前とか、結婚したら子を持つのが当たり前と言った縛りもなくなって来つつあり、自分達がどう生きてどう暮らすかを自由に選べる様になりました。

 私の周囲でも、子供のいない40代夫婦と言うのが、実に多いです。
 その人達に子供を持たない理由を尋ねると(答えが返って来る前に、セクハラ呼ばわりされる事がほとんどですが)「子供を持つ自信がない」「今の生活が維持できなくなる」「努力はしているのだが…」と言った答えが多いです。

 この答えの中の「生活の質が落ちるのが嫌だ」と言うのが、積極的に子を持たない選択を下した人達になります。
 ただ「『選択の自由』が錦の御旗になってしまったがために、それ以前の『先祖から子孫に至る一連のつながりの中に自分達が存在しているのだ』と言う意識がすっぽりと抜け落ちてしまった」と警鐘を鳴らす人がいます。「私達は人間である以前に動物なのだと言う意識がどこかへ行ってしまった」と私は理解していますが、確かに「自分達はなぜ産まれて来たのか」「何のために生きているのか」「自分達が為すべき事は何なのだろうか」と言った事を考える機会が、現代ではとても少なくなって来ている様に感じます。(↑これ、少子化以外にも、ニートの問題など、社会に幅広く影響していそうですね)

 その点を意識した上で、あえて子を持たないと言う選択をするのであれば、それはそれでよいと思います。
 が、しかし、現代ではそう言う意識が抜け落ちた結果として、雰囲気に流されて子を持たない選択をしている人が増えて来ていると言う事なので、この「先祖がいて子孫がいて」と言う感覚を、学校や家庭や社会で身につく様に工夫をして行かなければならないのでしょう。

 次に「自信がない」と答えた人達です。
「子供を持たなくても特に何も言われるわけではないので、まぁいいか」と、消極的に子を持たない選択をした人達です。
 特に現在では、近所付き合いもなくなっているし、大家族でもないので、「初めて触れる赤ん坊が自分の子供」と言う人が大変に増えています。
 その上、核家族なので、子育てを教えてくれる人が家庭内にはいません。テレビでは、子育てに失敗して虐待や殺人に至った人達のニュースが、日夜流れる様になりました。
 そんな中で子を産んで育てていかなければならないので、子育てをする自分を想像する事が全くできないと言うのは、仕方がないのでしょう。

 しかし、自信がないと言っている人達のおそらく半分は、単なる取り越し苦労なので(あとの半分は、何か別の理由を隠すための言いわけにしている?)、そっと背中を押してあげるための、周囲や社会の雰囲気作りや体制作りが必要なのではないかと思います。

 次は、努力しているのに子供に恵まれない人達です。この人達は、本当に可哀そうです。
 戦後、医療が発達して、昔なら死んでいたはずの人達でも普通に成人する様になりました。その結果として弱い遺伝子がどんどん増える事となり、多くの受精卵が育たずに途中で死んでしまう様になってしまった(ヒトに育つまでの能力を持った遺伝子の組み合わせになる事が少なくなって来た)のです。
 こんな時は「相手を替えればもしかして」と言うのがあるのですが、それは現実的な解決策ではないでしょう。

 ただ、不妊に悩む人達の中には「若い頃は『結婚なんて』『子供なんて』と思っていたのに、歳を取ってから気が変わった」と言う人が意外に多い様です。卵子の老化がすでに始まっていて、なかなか妊娠に至らないと言うものです。
 10年前の自分を振り返ってじだんだ踏むのも、また可哀そうな話です。そうなる前に、周囲の年長者が「将来、悔いる事になるかも知れないよ」と、たしなめてあげる必要があるのでしょう。

 どちらにしろ現在の制度では、不妊治療は一部の金持ちの特権でしかありません。普通の一般人は、涙をして子供をあきらめるしかありません。

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 このページは2004年7月〜2005年2月に配信したメルマガを再構成したものです。時間の経過とともに、文中の数字にはズレが生じており、また、制度や世情にも変化が生じている可能性がある事を、あらかじめ御了承下さい。
 扱うテーマが「年金」と言う制度と法律に関するものではあるのですが、概念的な部分を取り上げるため、どうしても厳密さや正確さに欠ける傾向にあります。ですから、何かの判断の参考にする場合や手続きを行う時は、必ず別の情報源でも確かめて下さい。このページの記事により損害が発生しても、補償は一切いたしませんので、あらかじめご了承ください。



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