■年金講座 年金の問題点
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年金は本当に破綻するの?〜若者のための年金講座

第5章 年金の問題点

3度目の危機

最初の危機

 昭和17年に始まった厚生年金は、日本が戦争に負けたおかげでスタート4年目にしていきなり頓挫してしまいました。取れるはずだったタヌキの皮があまりにもでかかったため、給付の事なんて全く考えられない事態となってしまったのです。
 保険料の方は引き続き集め続けましたが、給付の方は戦後混乱期の激しい物価変動の対策を全く行わず、事実上の凍結状態にしてしまいました。
 まだ出来たばかりの制度だったため、そう言う荒っぽい事が出来たのですが、昭和29年になると老齢年金をもらう人が出始めるし、いつまでも約束を反故には出来ないだろうと言う事で、この時に制度そのものを全面的に改正し、仕切り直しをする事になりました。

 この時の事を体験した人達の話は、私は聞いた事がないし、文献を目にした事もありません。昭和29年以前の加入期間をどう扱うかと言う規定もよく知らないので詳しい事はわかりませんが、それでも「ご破算にしなかった」と言うのは、結構すごい事だと思います。

2度目の危機

 年金は制度をスタートさせる時に、いきなり正規の料率で保険料を集める事は出来ません。
 それまでそんなお金を払っていなかった人に「明日からは君達の老後のためにお金を払っていただきます」といきなり言っても、すぐに払える様な人はそういません。それに、制度スタート時に、すでに老人になっている人達に年金を出すわけではないので、自分の保険料と親の扶養の「二重の負担」を強いてしまう事にもなります。
 ですから、仕切り直し厚生年金も、昭和36年スタートの国民年金も、かなりの割安の保険料から始めて、徐々に保険料を上げて行き、正規の保険料よりも割高でやがて高止ると言う設計になりました。

 所が、何が困ったかと言うと、日本は高度成長の時代に突入し、物価がものすごい勢いで上がって行ってしまったのです。
 給付の方は、そのままにしておくと、敗戦直後に凍結した厚生年金と同じになってしまうので、物価に応じて給付レベルを上げて行きました。
 しかし保険料の方が、物価に応じて上げて行くのがなかなか思う通りに出来なかったのです。設計上この保険料でないと駄目だと、厚生省が割り出しても、その数字がすんなり国会を通らないのです。

 厚生年金は料率で保険料が決まっていたので、かろうじて物価の変化に追いすがる事が出来ました。
 しかし、国民年金は、厚生年金よりも制度スタートが20年も遅かったので保険料の引き上げが遅れていた事と、保険料が定額制なのですんなり物価に応じて保険料を引き上げる事が出来ずに、年々財政が悪くなって行ってしまったのです。
 さらに悪い事に、農業をやっている人達がどんどん離農してサラリーマンになり、国民年金の加入者が減って財政をさらに悪くすると言うおまけまでつきました。

 積立金を年々減らし、破綻の道まっしぐらになってしまった国民年金を救うため、昭和61年に大改革が行われました。

 実はそれまでの国民年金は、40年払った時の満額は、厚生年金と差のない、心配なく老後が暮らせる充分な年金だったのです。25年払えば老齢年金をもらう権利が出来るのですが、その25年ギリギリでもギリギリの生活が出来る年金だよ、と言う設計にもなっていました。
 昭和61年は、制度創設から25年が経ち、老齢年金をもらう人が出始める、ちょうどその年だったのですが、「あなたがもらえるのは『25年払った分』の年金です」と言うのを、同額のままで「あなたは制度創設から60歳になるまで25年間の『全期間』を払ったので、『満額』の年金です」と、話をすり替えてしまったのです。
 この改革以来「新国民年金の満額=旧国民年金の25年分」となり、「老後のそれなりの生活の保障」から「ギリギリ最低限の生活の保障」へ、国民年金は性格を大きく変える事になります。

 そしてもうひとつ。何とか踏み留まっていた厚生年金の方は50兆円ほど積立金を持っていたので、そのお金を国民年金に使える様にしてしまおうと考え、厚生年金の一部を国民年金に組み入れ、それを「基礎年金」と呼ぶ様にしました。
 そうなると、積立のつじつまが合わなくなるので、積立方式をやめて賦課方式に切り替えました。
 厚生年金と共済年金の一部を取り込み、国民全員を国民年金の強制加入とする事で、加入者の規模が巨大になり、「加入者減による財政悪化」と言う問題も解決させました。

 この改革は国民の間に広く知られる事なくひっそりと行われましたが、当時から年金問題に関心を寄せていた厚生年金の加入者達は、今でもその時の国民年金救済には怒り心頭だそうです。

そして3度目

 2度目の危機の時に、積立方式から賦課方式へ切り替えたおかげで、年金の財政は物価変動の影響を受ける事がなくなったのですが、代わりに高齢化の影響をモロに受ける様になりました。
 皮肉にもそれ以後の日本は、物価の変動があまりない低成長の時代へと移り、さらに悪い事に少子高齢化のスピードがどんどん早くなっています。
 一方保険料の方は、これまで物価上昇を追いかけるのがやっとだったので、実は現在でも保険料の引き上げは続いていて、未だに高止まりには至っていません。(この5年間は、景気の悪さに配慮して、保険料の引き上げを凍結していたので、高止まり点はさらに高くなってしまいました)

 現在の年金の財政は昭和61年改革直前の財政破綻と比べるとかなりマシな状況です。それでも、少子化が予想を上回るスピードで進んでいるので、厚生労働省は「今のままなら確実に危ないです」と公表し(こう言う事を厚生省が言うのは、史上初の事だそうです)国会や国民の間で盛んに年金問題について議論が交わされる事になりました。
 この3度目の危機をどう乗り切って行けばいいのか、皆さんも周囲の人と話し合っていただければと思います。

高齢化

 公的年金は基本的に掛け捨てで、元を取る前に早死にしてもお金は出ません。もしこれが生保の終身年金だったら「10年保証」とか言って差額が支給される所なのですが、それがないのが公的年金の一大特徴になります。
 純粋に「万が一、長生きしてしまった時のための保険」であって、貯蓄性がないのです。
 言いかえれば「早死にした人から、長生きな人に仕送りをする」と言う考え方であって、個人単位の損得は考えないと言う事です。(その分、生保の終身年金と比べて保険料をかなり安く出来ます)

 でも、早死にする人が少なくなり、誰でもかれでも長生きしちゃったら、仕送りどころじゃなくなってしまいます。

 現在、日本人の平均寿命は男子78歳、女子85歳(65歳の平均余命が男子18年、女子23年)で、年々確実に延びています。
 やがて「平均寿命90歳」の時代が来る。「そうなると年金は破綻してしまう」とか「だからこそ年金がないと生活出来ない」とか、年金破綻論者も年金推進論者も、超長寿時代の到来を声高に叫んでいます。政府ですら寿命の延びを示して年金改革をしないと危ないと言っています。
 しかし私は、長寿に関してはそんなに心配はないと、ちょうど今くらいが平均寿命のピークで、やがて下がって行く事になるのではないかと考えています。

 そもそも、どうして今の日本はこんなにも長寿なのでしょうか?

 大病をした時や大怪我や遭難時など、全く同じ条件でも持ちこたえる人と亡くなってしまう人とに別れます。それは、どれだけ丈夫で優良な内蔵セットを持っているかで、極限状態にどこまで耐えられるかが決まってしまうからです。
 人間は、だいたい14歳頃までに内蔵の作りが出来上がります。それまでの環境次第で、どんな内蔵セットを持つに至るかが決まります。
 戦前生まれの今のお年寄りは、質素な(だけど理想的な栄養の)食事で幼少時代を過ごし、大変打たれ強い内蔵を持つに至りました。ですから大病をしてもなかなか死にません。戦後の食うに困らない豊かさの中で、戦前からの食習慣を変える事なく健康を維持し続け、戦後の高度な医療のおかげでぐんぐん寿命を延ばし、ついに100歳でも当たり前な時代を作り上げました。

 さて、私達は100歳まで生きられるでしょうか? もしかしたら80歳な人も珍しい時代になるかも知れません。内蔵がひ弱なだけならともかく、運動不足と好き放題な食事のせいで、すでに血は甘くてドロドロ、常にどことなく調子が悪く、生活習慣病をひとつひとつ拾いながらこれからの老いを迎えなければなりません。今のお年寄りみたいに70や80でビシバシ働くなんてとんでもないです(だからこそ年金が必要なのですけど)。
 もしかしたら、医療の発展のおかげで長生き出来るかも知れません。しかし、常に薬漬けで体調が悪く、病院と家との往復に明け暮れる毎日で、やっぱりビシバシ働くなんて論外でしょう。何も出来ない状態では生きている意味もなくて本人にとっては苦痛だし、医療費は青天井で現役世代の首を絞めてしまいます。医者が儲かるばかりで、本人にも国の経済にもいい事がありません。

 医療費に関してはすでにこう言う現象が始まっていて、健康保険はどこでも財政が滅茶苦茶になってしまっています。
 高齢化については、年金問題よりもむしろ、こう言った方面の問題の方がはるかに深刻かも知れません。

 長らく長寿日本一を誇っていた沖縄県は、いつの間にか「長寿の県」と言う看板を返上すべきかどうかと言う議論をするまでになっていました。米軍占領下の時に食習慣が変わってしまい、油の摂取量がかなり増えてしまったそうです。男性に限って言えば「若者ほど早死にする」と言うのが統計の数字にはっきり現れる、恐ろしい事態にまでなっています。
 代わりに台頭して来たのが長野県です。かつて「早死にの県」と言われたその汚名を晴らすべく、地域住民と医療機関が一丸となって予防医療と健康教育に力を入れ、おかげで「医者いらずの県」になり、それがいつの間にか長寿日本一になっていました。(医者が儲からない仕組みを、医者が作ったのですね)
 長野県では、国民年金の年40〜50万円だけで、悠々と生活している人が多いとの事です。多分、自給自足をしているのだと思いますが、死ぬ寸前まで現役で働けるからこそ、国民年金だけでも豊かでいられると言う事なのでしょう。(この県では「ピンピンコロリ」が合言葉だそうです)
 長野県に次いで、福井県と静岡県の長寿が特に目立っています。どちらも「海の幸なら何食っても美味しい」土地柄なので、あまり肉を口にする機会がないのが長寿につながっている様です。

 日本に肉を食す習慣が根づいたのは、明治に入ってからですが、西洋では肉と同時に付け合わせを工夫して野菜をたくさん口にする習慣があるのに対し、日本ではその付け合わせの工夫の習慣だけがすっぽり抜け落ちた状態で食の西洋化が進んでしまいました。
 主食(ごはん・めん類)、主菜(肉・魚類)、副菜(野菜類)を3対1対2の比率で採るのが理想的な食事と言われています。健康に老後を迎える事が出来る様に、皆さんも今一度自分の食生活について点検してみて下さい。

少子化

 私が子供の頃は独りっ子は珍しい存在だったのですが、今ではすっかり独りっ子の方が当たり前な時代になってしまいました。

 2人兄弟の場合は、4人の親(自分の親と義理の親)を4人で面倒見る勘定になるのですが、独りっ子同士の夫婦の場合は4人の親を2人で面倒を見なければなりません。冷静にそう考えると、とても現実的ではありませんよね。
 自分の親を自分で面倒見る社会であっても、年金制度を使って国民全員の親を国民全員で面倒見る社会であっても、子供の数が減って行くと言う事は現役世代の負担を重くする事に直結します。

 今の日本の年金が危ない最大の原因が、この少子化問題に他なりません。
 ですが、年金に限らず、社会のあらゆる所に少子化の影響は現われます。
 子供の数が減ると言う事は、日本の人口が減ると言う事です。買い手が減るわけですから、経済の規模が小さくなります。働き手も減るので、生産能力も減ります。少子化が日本の経済力をどんどん削いで行く〜日本の国力がどんどん弱くなってしまうのです。国民の生活は、今よりも確実に何割か貧乏になるでしょう。

 少子化は社会が成熟化すると必ず現われる現象だそうで、先進国共通の悩みでもあります。しかし、日本の少子化は他国には例のない猛烈なスピードなのです。
 少子化を克服するには、移民を受け入れて人口を維持するか、みんなに子供をどんどん産んでもらうしか方法がありません。

 少子化についてインターネットで眺めてみても、実にたくさんのサイトで、多くの人が議論をしている様です。
 国でもお金をかけて色々と分析をしている様です。
 しかし「ズバリこれが少子化の原因だ」と言うのは、どうもはっきりしないのです。国は、そのはっきりしない分析と中途半端な金額で対策を行っているので、効果は全然現われて来ません。

 よく言われているのが、女性が高学歴化して、学校卒業後に家事手伝いにはならずに仕事に就くのが当たり前になった、と言う事と、価値観が多様になって結婚しない事や子供を持たない事に関して世間が寛容になったと言うのがあります。
 一方で、理想の子供数と現実の子供数との間に開きがあると言う統計もあって、「たくさん子供を産みたいけど難しい」と言う風潮もある様です。

 私には、次の様な日本ならではの原因がある様に思えます。
 ひとつに、核家族化が進んでいると言う事。親に子育てを教えてもらう期会が失われている上に、親に手伝ってもらう事も出来ず、女性にとって子育てがものすごい重圧になっているのではないでしょうか。
 もうひとつが、まだまだ日本には男尊女卑が根強いと言う事。家の事に何も協力しないのは単なる身勝手なのに(そこのあなた、外での仕事の忙しさを口実にしていませんか?)、そう言う夫に文句を言う妻の方を身勝手とする風潮が、まだまだ根強いと思います。ただでさえ女性にとって重圧になっている子育てが、さらに重圧になってしまっているのではないでしょうか。

 また、よく聞く理由に「子育てにはお金がかかる」と言うのがあるのですが、これはいかがな事かと思います。子育ては、お金をかけようと思えばいくらでもお金はかかるし、お金がないならないなりの育て方があるはずです。子育てをする前から「世間相場はこの位」とか「これだけお金がかかるもんだ」と言う数字に、振り回されていませんか?
 物質文明に浸り切ったあまりに、今ある生活レベルを落としたくないと言う気持ちがとても強いと言う事から、子供にお金を取られるのが許せないのでしょう。そう言う生き方を私は否定しませんが、ただし、個人的にも国家的にも、豊かな老後と子供を持たない生き方とは相入れないトレードオフの関係にあるんだと言う事は、国民皆がきちんと理解しておく必要があると思います。
 少子化の社会になってしまったのは、私達国民皆がそう言う生き方や風潮を選択した結果なのです。年金についてお上に文句を言うのではなく、移民を受け入れるのを良しとするのか、子供を持たない生き方をけしからんものとして啓蒙するのか、高い負担をきちんと受け入れるのか、私達国民が考えて意見し、行動しなければなりません。

免責

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 扱うテーマが「年金」と言う制度と法律に関するものではあるのですが、概念的な部分を取り上げるため、どうしても厳密さや正確さに欠ける傾向にあります。ですから、何かの判断の参考にする場合や手続きを行う時は、必ず別の情報源でも確かめて下さい。このページの記事により損害が発生しても、補償は一切いたしませんので、あらかじめご了承ください。



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