2003-08-05

中山道てくてく紀行 8日目

H14.06/16 関ヶ原→鳥居本

武士の商法

 歴史の街関ケ原宿と言えども、歴史探訪をするわけでなく、街道の方は人影がなく静かです。そんな静かな休日の住宅街をてくてくと歩くわけですが、歩いてみると気がつきます。関ケ原って街は、けっこう広いです。

 不破の関辺りでは河岸段丘と言う事もあって、突然に急坂が現れたりします。ちなみに、資料館の方は休日だからなのか、時間が早かったからなのか、見る事ができませんでした。
 で、この日は昔の誰だかの命日なのでしょうか? 所々で集落の人達が集まって念仏をとなえていました。
 市街地が切れたかと思うと、山間の田んぼの一本道となり、風景が急に心細くなります。東海道線の下り線のみを踏み切りで越えたかと思うと、その東海道下り線のトンネルの真上を通って小さな峠を越えます。

 今須宿の入り口では、何だか車がせわしなく行き来しており、大会だか集会だかが開かれてるっぽかったのですが、宿場の中へ入るなり、往来する人も全くいない田舎の休日の一本道になってしまいました。
 車返し坂は現存するのですが、国道が切り通しとなっていて、国道の向こう側へは道が続いていません。ちょっとだけ地蔵を見物してから、う回をしました。
 寝物語の碑を横目に、滋賀県へと入ります。ここから、近江路の始まりです。県境を越えるといきなり道や風景が変わっていて、岐阜と滋賀の財政の違いを思い知らせれます。
 地元小学生達によって整備されたカエデ並木を通り、山間の風景が終わると柏原宿でした。

 この柏原宿、街並みがとてもよく残っていて、とてもいい雰囲気で、なおかつ歴史散策ができる様に看板などもよく整備されているのですが、観光客が見当たりません。いつも東海道線で通り過ぎる時は、駅が観光案内で埋まっていて、観光客を懸命に誘っている感じはあったのですが、意外です。地図をみればわかりますが、史跡の宝庫である事には違いないのですが、知名度がいまいちなのでしょうか?
 ほどなく柏原宿歴史館に到着したので、見学する事にしました。すると、ものすごくていねいなもてなしを受けてしまいました。
 もてなしがていねいとは言え、展示室は全て手作りで、案内してくれている人もプロではありません。全然こなれていない点が、かえって好感度アップです。展示されているものは、いずれも当時のものであるにもかかわらず、今まで見た事もない様な非常によい保存状態のものばかりです。資料としても一級品ばかりらしいのですが、それが手作り展示室に置いてあると言うのが、何とも。

<昼食>
時間的には少し早かったのですが、資料館内に軽食を摂る事ができる場所があったので、そこでいただきました。食べたのは「蛍うどん」だったかな? 蛍を模したナス揚げがでんっと乗ってました。後から考えたら、もぐさうどんの方が話のネタになったかも。

 スタンプラリー付の近江路の観光案内冊子をいただき、おみやげにもぐさを買い、資料館を後にしました。
 柏原宿を出、田園の中を歩き、道は谷筋の国道の脇道になりました。ほたるの里と書かれた看板があるのを見ると、ほたるが保護されているのか生き残っているのでしょうか。その国道脇の道もやがてなくなり、国道をしばし歩くと、谷も終わり。急に景色が開けて、街並みが見通せる様になりました。
 再び街道は国道からそれ、名神高速道路の土手下をひょろひょろと通ります。それを抜けた所が醒井宿でした。

 居醒の清水から始まる川は、水が大変にきれいで、そのまま用水路として醒井宿の中を通って行きます。途中で水琴窟があったので、休憩をかねてしばし遊んでしまいました。そこでのどをうるおし、水筒を満たしました。
 醒井宿を出ると、国道脇の街道に連なる家並みを抜けて行きます。高速のインターチェンジをくぐり、山の脇を抜けると、そこが番場宿でした。

 今日の予定はここまでです。しかし、予定よりも少し早く着いたため、バスの時間まで2時間もあります。米原駅まで3kmほどなので、歩いてもいいのですが、3km歩くとなると鳥居本宿まで4km歩いてもいいかなとか思えて来ました。
 宿場碑のある場所のポケットパークでしばし休憩していたのですが、炎天下で非常に暑いです。やっぱりこんな中をバスを待っているなんてバカみたいに思えたので、鳥居本宿まで行く事にしました。

 番場宿は本当に何もない所で、やがて現れた西番場の方がよっぽど宿場らしいです。そんな事を考えているうちに、家並みは途絶え、名神高速道路と田んぼとに挟まれた道になって行きました。やがて上り坂になり、横の田んぼも電気柵に囲まれた畑になり、その畑もなくなってしまいました。街道は名神高速道路によって消失し、その付け替え道として作られた高速道の脇道を登って行きます。
 小麿針峠と銘打っている割には、峠でも何でもない普通の坂道です。高速道路によって切り通しになったから楽なのかも知れません。
 道は高速道路からそれ、山間に入って行きます。やがて集落が現れ、麿針峠なのですが、これも「どこが峠やねん」…と思ったら、車道から左にそれて上に登る横道があるではありませんか。それを登った所に望湖堂がありました。眼前には滋賀県が一望で、足許はかなりの坂が続いています。なるほど峠です。
 峠自体は切り通しになっていて、車が難なく通れる様に改修をされているみたいです。だから街道筋はこの横道が正解なのでしょう。

 しばし休憩をしてから車道に降り、車道からそれる旧道を捜します。まずは、ほどなく見つける事ができたのですが…、これが何ともおっかない道で。コンクリな階段に鉄の手すりが整備されているのですが、人が通った気配が全くないのです。足場はすっかり野草に覆われていて、手すりもサビが来ていておぼつかないです。でも、それが中山道ルートなので通って行きます。再び車道に出るのですが、ここから先の旧道が、ない、ない、見つからない!
 上を電話線が通っているのを見ると、確かにそこに中山道があるはずなんです。でも車道からの降り口が全く見つからないのです。さんざん捜したあげく、旧道をたどるのをあきらめ、地図にあるう回路を通る事にしました。
 この道、逆からたどれば、きっと通る事はできると思います。が、見た感じは、道がある様には思えなかったので、ヤブ扱ぎに慣れない人は無理しない方がいいでしょう。
 で、そのう回路をとっとと降り、平たんな場所に出たかと思うと、そこが鳥居本宿でした。

 すでに結構なお時間になっていたので、宿場の見学もそこそこに、鳥居本駅から帰途に就きました。

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