2003-07-15

中山道てくてく紀行 3日目

H14.05/06 御嶽→鵜沼

堤防と国道の一日

 大井宿御嶽宿間は、細久手宿で一泊し2日連続で、と思ったため、日程が取れるまでのおあずけにする事にしました。と言うわけで、今回は御嶽宿からのスタートとしました。

 電車を乗り継いでやって来た御嵩駅は、路面電車ばりの施設にフル規格の車両が走る、いかにもローカル名鉄線らしい路線と駅でした。しかし見た所、御嵩の町は駅を中心とした作りになっている様に思えたのです。
 それもそのはず、駅の前に願興寺があり、街は寺を中心に作られていたのですね。寺の横が公園になっていて、中山道の資料館もあるのですが、いかんせん朝が早かったため見学はできませんでした。

 御嶽宿をスタートすると、その後はずっと国道を歩く日程が始まります。時々旧道の脇道にそれる事があるのですが、その脇道を見つけるのが難しかったりします。
「中山道の歩き方」の地図では、伏見宿の丘に上がる部分が通行不能のう回ルートになっているのですが、丘の上から見てみれば、ちゃんと中山道ルートらしき道が見えるではありませんか。引き返してたどってみると「どこが通行不能やねん!」 この本の地図も100%の信用はしてはいけないと言う事が、やっとわかりました。
 伏見宿で休憩したいと思っていたのに、この街は本当に何もない所で、仕方なく伏見交差点にあるポケットパークで腰を下ろしました。でも、炎天下なので、あんまり休憩にはなりません。

 そこから先も、ずっと国道を歩くばかり。ようやく国道がそれて行った時には、ホッとしてしまいました。
 太田橋を横目に見ながら通り過ぎ、太田の渡し場の様子を見てみようと思い、羽虫だらけの神社の敷地を通って河まで降りてみました。昭和に入るまで現役の交通手段だったらしく、渡し場の痕跡はきちんと残っていました。

 [photo]
【 木曽川・太田の渡 】

 太田橋を渡ってちょっと立ち止まってみました。地図によるとここから先もしばらく通行不能になっているのですが、先ほどの事もあるので信用せずに見回してみると、案の定、橋のたもとのガードレールをまたいで越えると、そこは渡し場跡の公園になっていて、中山道ルートはバッチリたどる事ができます。公園から先は堤防道路を通り、太田宿へ到着しました。

<昼食>
 しっかり街並みが残っている太田宿なので、きっと何かあるだろうと思って歩を進めましたが、何も見つける事ができないままに宿の端まで行ってしまいました。国道沿いにはチェーン店のファミレスもある様ですが、せっかく観光に訪れているのだから、地元資本の店にお金を使ってあげなければ意味がないだろうと言う事で、パス。以前、駅前で食事をした覚えがあったので、結局駅まで行く事になってしまいました。往復40分のロス、結局2日目に続いてラーメン屋で食事をするハメになりました。

 太田宿を過ぎると、またまた堤防道を行くルートになります。坂祝町に入って国道に入りますが、ここは三菱自動車の工場街。朝から結構単調な行程でげんなり気味に。

 地図によると坂祝地内でまたまた通行不能になっているのですが、まさかと思って見てみると、中山道ルートは堤防から河へ一段下がった散策路として整備されていました。この辺りは絶壁に奇岩が続く面白い地形をしている所で、それが見物できる様に散策路が設けられた様です。散策の人のための駐車場や公衆トイレまで整備されていました。河にはライン下りの船が行き交い、船頭さんの口上が聞こえてきます。

 堤防道が終わると、またまた国道へ。岩屋観音のある場所で国道をそれるのですが、行ってみると「危険!立入禁止」になっていました。警告を無視して進んでみれば、確かにかなり危険な状況になっていました。

 国道をそれて謡坂へ行く部分は、国道とJRをガード下の水路を通って抜ける様にと地図に書かれていました。しかし、ネットで「ここのJRは赤線で越える事ができる」と書いたページがあったので、赤線を試みてみました。しかし、線路には赤線された痕跡が全くなく、どこを通ればいいのか皆目見当もつかなかったので、断念。結局は地図の指示の通りにしました。
 謡坂は整備はされているっぽいものの、完全に自然歩道状態。別れ道も結構あって、油断をすると迷います。しかし、ウォーカーが多くて一人で迷う心配はなく、注意深く分かれ道を選択して行けば、何とかなりました。峠を越えた向こう側は、団地の一角のきちんと整備された公園になっていました。石畳や一里塚も復元されています。
 団地の坂道を延々と降り、降りきった所に升形があり、そこが鵜沼宿の入口になります。今日はここまで。そこから鵜沼駅へと向かい、帰途につきました。

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