2002-06-06

PC-9801NS

PC-9801NS
出逢 発売 メーカ CPU Clock Memory HD OS
1992 1990 NEC i386SX 12MHz 1.6MB
増設
2MB
20MB
後に
240MB
MS-DOS 3.3C
後に
MS-DOS 3.3D

 PC-9801NSは、A4サイズのノートパソコンで、98NOTEシリーズ(通称『のて』)の2代目で、別名「98NOTE/SX」と呼ばれていました。

 なぜPC-9801NSを選んだのかと言うと、理由は何もありませんでした。単にハードディスクが欲しかっただけ&自宅にはパソコン用のモニターもない、と言う事から、画面とハードディスクが一緒になっている機械を、とそれだけで買い求めたのがPC-9801NSでした。モニター込みでデスクトップの方が安ければ、きっとデスクトップになっていたと思います。それでもこの当時はMS-DOS機は大変高価で、この中古のPC-9801NSは、PC-9801NS/Eが出た後の値崩れ状態でも17万円もした記憶があります。
 当時は、A4ノートなるパソコンは東芝のDynabookしかなかった頃なので、この大きさでPC-9801だってんで、PC-9801Nは低能力ながらも大変なセンセーショナルな製品でした。その後継機として出たのがPC-9801NSでした。CPUがV30からi386SXになったってんで、これまたセンセーショナルな製品でした。
 ただし、このi386SXなるCPUは、32bitなCPUなくせして、廉価版と言う事で入出力が16bitなままで、「一度に32bit分のデータを取りに行ける」と言う32bitならではの特徴を持ってはいませんでした。32bitなCPUのもう一つの特徴である「命令の数が32bit通りもある」と言うのは備えていたのですが、残念ながら32bit命令で書かれたプログラムが当時まだ全然なかったので、その早さを実感できる期会はついぞありませんでした。
 PC-9801VM(V30,10MHz)→PC-9801RX(80286,10MHz)では、早さが倍近く違ったものですが、このPC-9801NS(i386SX,12MHz)は対80286,10MHz比1.0倍のスピードしかなく、32bitである特徴が全く活きていない所か、メモリーカードを使用した場合はメモリーカードの読み書きにウエイトがかかってしまうために、CPUクロックが1.2倍早い効果すらなくなってしまっていたのでした。

 当時はまだ、ハードディスクが一般的でなかった時代のマシンとの互換性を引きずっていて、ソフトの多くがフロッピー2枚差しで動作するものでした。98NOTEシリーズにはフロッピードライブはひとつしかないので、そう言うソフトを動かすために内蔵のRAMがRAM-DRIVEとして使える様に設計されていました。電源切っても忘れる事はなく、ちまきは通常はこのRAM-DRIVEから立ち上げる様にしていました。
 このRAM-DRIVE用のメモリーには端数の関係から100kB弱の未使用部分があり、MELCOのドライバーを使ってこの部分もRAM-DRIVEとして使っていました。90kBしかないドライブがひとつ増えるわけですが、小さいながらも、書きかけのファイルを置く場所としてかなり便利に使っていた覚えがあります。
 メモリーを増設しようと思い、MAXELLの2MBのRAMカードを買って来て装着しました。このRAMカードもRAM-DRIVEとして使えるのですが、こちらの方は単なる増設RAMなので電源を切るときれいさっぱり忘れてしまう代物でした。後の98NOTEシリーズではレジューム機能(電源を切ってもRAMへの電源供給を止めずに、電源を切った時の状態を覚えておいて、次に電源を入れた時に瞬時に以前の状態で復活する機能。メモリーカードのRAM-DRIVEも消えない)が加わりましたが、PC-9801NSにはその機能がないので、かなり悔しい思いをしていました。
 悔しい思いと言えば、モニターをつなぐための端子も後々の98NOTEシリーズに備わったのですが、PC-9801NSで外部モニターを使おうとするとマザーボードにはんだごてを当てて改造をしなければならなかったので、これも大変悔しかったです。
 液晶の色が青かったのですが、これは別に悔しい思いはしませんでした。大多数の方が後の98NOTEシリーズの白黒液晶の方が断然いいと言っていましたが、ちまきとしては小説の執筆で大量の文字入力をするには、この青白な液晶の方が目に優しくて大変重宝していたのです。後にPC-9801NS/Aを買う時に、液晶が青くないと言う事で、買うのを躊躇してしまったほどです。
 その他、ODPやメモリーモジュールの装着と言った拡張性もPC-9801NSにはなく、後の98NOTEシリーズで加わった機能でした。
 後になって、外付けのハードディスクをつけるために98NOTE用SCSIユニットを、ワゴンセールされていたのを発見して98NOTE用音源ユニットを買いました。

 エディターにはMIFESを使っていました。このソフトはこの頃の基本中の基本ですね。WindowsでもMIFESを使い続け、このホームページもMIFESで作っています。
 IME(漢字入力の事。この当時はFEPと呼んだ)は、文体をも左右するツールなので、小説家としてこだわりを持ってありとあらゆるものを試しました。ATOKから始まり→VJE→松茸→NEC-AI→DFJ→WXと使った結果、EGBridgeに落ち着きました。WXの変換効率がすごいと言う事で騒がれていて、それを好まないちまきは変人扱いされました。8bitパソコン時代から大量に文字入力して来たちまきとしてはWXに代表される品詞を推量してヒット率を上げるIMEにはどうしてもなじむ事ができず、これは今でも同じです。ですからWindowsになった今でもMS-IMEを使う事は全くなく、この文章もEGBridgeで書いています。
 通信ソフトはSkyFreeを使っていました。通信ソフトではまいとーくからKmTERMに時代が移ろうかって頃で、「何で今ごろそんな大時代的な代物を使うかなぁ」とバカにされていました。SkyFreeは必要最小限の機能はきちんと揃っていて、なをかつ色々便利な機能(余計な機能)は何もついていないのが気に入ってしまい、PC-VANの古いデータベースから掘り起こして来てPC-9801NSに入れてやりました。これもMS-DOSを使い終わるまで、使い続けました。
 ファイル管理は、エコロジーとMIELとを使っていました。これもやはりと言うか何と言うか「FDを使わずにMIELを使うとは」と言われたものです。
 この頃のパソコン所有者は、皆、懸命になってゲームで遊んでいましたが、ちまきはそう言う使い方はしていませんでした。唯一「宝魔ハンターライム」に萌えただけです。他には、コミケットで妙なソフトを買って来ては楽しんでいました。

 使い方が激しかったためか、故障歴もすざまじいものがあります。
 まず、キーボードのキーを全部外して水洗いしている時に、「7」のキーを下水に流してしまいました。キーのみ取り寄せようとしたのですが、キーボードごと交換だと言われてそのまま使い続けました。
 フロッピードライブがだんだん調子が悪くなって行き、そのたびに分解修理してだましだまし使っていたのですが、ついぞ大音響と共に中の部品が玉砕、サービス送りにしました。すると無償でドライブが新品になって帰って来ました。説明によると液晶の取付部分がフロッピードライブを圧迫すると言う設計欠陥だったとの事です。液晶のヒンジも交換されていました。無償だったにもかかわらず「7」キーを取りつけてもらい、感激してしまいました。
 PC-9801NSを背中にしょって毎日原付で通勤していたのですが、交通事故に遭い5mほど飛ばされてしまいました。この時、外装が玉砕してしまい、キーボードの裏当てのアルミ板がぐしゃぐしゃになりました。幸いにもマザーボードとハードディスクが無傷だったのが奇跡。外装はアロンアルファで塗り固めて、アルミ板は金づちで叩いて治しました。
 電池が異常に熱くなるのは、それで正常だと思ってずっと使っていました。しかし、その電池の真下にはハードディスクがあります。ゴムのパッキングが熱で溶けて分解してしまっていました。そのままで使えていたので使っていたのですが、やがてハードディスクがお亡くなりになり、全データを失いました。この時、修理に出した地元ショップが、無断で大容量のハードディスクに換装、事後承諾を求めて来たので喧嘩になりました。慌てて元に戻してもらい、自分で新しいハードディスクを買いに行きました。
 最後は、やはり電池の真下にある電源部のコンデンサーが大音響と共に爆発、マザーボード直付部品だったため修理を断念。満身創痍であった事もあり、弔う事にしました。
 後から考えるに、どうも最初から、充電管理部が異常だったか調整が狂ってたみたいです。