2002-06-05

MAXY

M3201-B20
出逢 発売 メーカ CPU Clock Memory HD OS
1991 不明 MITSUBISHI 80286 10MHz 8MB 20MB OS/2 1.1
後に
OS/2 1.2

 MAXYとは三菱のAXのラップトップパソコンの総称です。ラップトップのくせして、その一番の特徴が「重い・でかい・かさばる」の三重苦だったので、外出時に連れて歩くなんて使い方はとてもじゃないけどできませんでした。それでも、オフィス内を自由に移動できるのは大変うれしかったです。
 80286機でOS/2はさすがに辛く、起動に5分以上かかっていました。しかし、それでもOSがすっ飛んで行く事はあまりなかったので、Windowsと違ってやっぱりOS/2ってすごいと思ってしまいました。

 この頃は海外ではパソコンと言えばPC/AT(=今、皆さんが使っているパソコンの、直系の御先祖様)が標準になって来ていました。しかし日本は、AT機で漢字が表示できないために、PC-9801が標準の座を欲しいままにしていて、海外のパソコンの動向からどんどん取り残されて行く状態になっていたのです。それではまずかろうと言う事で、NEC以外のほとんどのメーカーが集まってPC/ATを漢字表示できる様に拡張する規格を作ったのです。それがAX規格でした。
 一応AT互換と言う事になっていましたが、AT規格に余計なハードをつけ加えただけあってAT規格から外れてしまう部分があり、海外のAT用ソフトがそのまま動く例はかなり少なかった記憶があります。ただし、コマンドひとつでATモードとAXモードを行き来できました。
 仕事の合間によく、テトリスで遊んでいました。さすがはATを元にしているだけあって、ソビエト製のソフトが音も絵もそのままに動くなんてのは本当にカルチャーショックでした。「日本はPC-9801にしばられて、何やってんだろ」と真剣に思ったものです。
 AX規格を推進するぞと一番鼻息が荒かったのが、三菱だったと思います。ただし、AX規格の実態はVGAと言う画面モード(640×480)用のビデオカードを改造しただけのものだったので、この画面モードしか扱う事ができず、ATの方が後に800×600とかそれ以上の画面のものが開発&普及するにつれ、AXは完全に取り残される結果となってしまいました。
 ATの方はやがて、ソフト的に漢字を表示できるのではないかと思った有志が集まり、ATで漢字を表示するためのフリーソフトが発表される事になります。そのフリーソフトに目をつけたIBMが、そのフリーソフトを元にしてATで漢字も表示できるOS「DOS/V」を販売するに至ります。この時点で、AXの役目は終わってしまいました。(同時にこの時、PC-9801の転落の歴史が始まります)

 MAXYの方は、「重い・でかい・かさばる」を完全に克服し、MAXYNOTE386と言うノートブック型のものが出ました。重さも大きさも、今のノートパソコンと比べても遜色ありません。MAXYNOTE386は液晶を丸ごと取り外す事ができ、外した場所にケーブルをつなげばモニターが使えました。AX機ではあるものの、大変洗練された仕上がりになっていて、これがひとつの究極の形だったのではないかと思います。
 MAXYNOTE386はやがてAMiTY(通称『亜美ちゃん』)となり、イギリスのパソコンメーカーを買収した時にapricot noteとなり、現在に至っています。