2001-10-13

OASYS 30AD

OA30AD-J
出逢 発売 メーカ CPU Clock Memory
1991 1989 FUJITSU 80C188 10MHz 256kB

 まぁ、たったの1万円で買ったマシンですから、文句言ってもしょうがないとは思うのですが…

 OASYS Pocketよりも少し前に出た製品で、サイズがA4、少々かさばるものの重量は軽く、富士通がおそらく目指したであろう持ち運びワープロと言う設計思想は一応達成できていたとは思います。
 フロッピードライブがついているために、OASYS Pocketと違って全てを本体内に記憶する必要がなく、そのためにOASYS Pocketの様にOASYSとしての機能制限はありませんでした。ごく普通のOASYSです。
 ただし、全体的にとても安作りだったために、そこかしこに不満がありました。当時一般的にOASYSとして知られていたOASYS 30AXと比べる方が悪いのかも知れませんが、動作はやっぱり遅かったし、何よりも液晶が大変暗くて実用以下なので悩まされ続けました。
 動作のとろさは、PC-9801NSに入れたASKEYWORDと言うソフト(MS-DOS用のOASYSもどきソフト)で大体の編集を行い、それで作ったフロッピーをOASYS 30ADに入れて仕上げの編集を行うと言う方式で克服し、液晶の暗さは背中に電球をしょって(顔が焼けて、熱かった…)作業すると言うスタイルで克服する事となりました。

 液晶があまりにも暗いものだから、液晶の前にある無反射プラスチックをやすりを使って取り除き、液晶が裸になる様に改造をしました。この時、どう言う作りの液晶なのかなと興味を持って液晶自体をバラバラにしてしまい、液晶が損傷、サービス送りになりました。

 このOASYS 30ADシリーズは、OASYS 30AD-EX、OASYS 30AD301と進むにつれ洗練され、OASYS 30ADで不満な点が全て劇的なまでに改善されて行きました。まさに持ち運びワープロとして完璧なまでのマシンとなって行ったのですが、ちまきは悲しいかなお金が足りなくて乗り換える事ができなかったのです。
 コミケットの会場で、OASYS ADの後継機を使って執筆に没頭する人達を見かけるたびに、うらやましくて、うらやましくて仕方ありませんでした。