〜 ちまきのケータイ遍歴 〜
ケータイ購入のきっかけ
そもそものきっかけは、コミケットへ持って行く無線機の問題でした。当時はアマチュア無線を使っていたのですが、仲間うちでの免許所有率が低く、さらにこの頃はコミケット会場内でのアマチュア無線もかなり混雑していたので、実用にほど遠い状態にありました。そこで、携帯電話に移行しようと言う話が持ち上がったのです。
まだ本体価格や基本料がバカ高かったので、年に2回の事だからレンタルで調達する方が安いと判断、名駅のアコムへと行ったのですが…。やれ一人1台だの、保証人がいるだの、事前に番号を教えられないだの、保証人は親族でないとダメだの(よく考えたらアコムは金貸し屋なんですね。ローン組むのと同じ条件だったわけです)、ことごとくちまきのオーダーに反する事を言われ、頭に来て自分で1台買う事にしたのでした。
買うと同時に、結局アコムからは1台DoCoMo機を借りたのですが、家から200mの所に基地局があってアンテナも見えるのに、自宅が圏外で大笑い。人口がより多い方にアンテナが向いていたのかな? いかにもDoCoMoらしいと思いました。年末年始を挟んで10日間借り、その間のアコムの実営業日が5日だったため、5日分の8,000円を支払った記憶があります。
DP-172
東海デジタルホン&東芝 1995年12月購入
キャリア選定の決め手は?
東海地方では当時からデジタルホンの鼻息が大変荒く、DoCoMoのシェアをどんどん脅かしている状態でした。この当時のデジタルホンの企業努力のおかげで、東海地方では現在でも、DoCoMoのシェアが45%しかなく、J-PHONEのシェアが25%を越えていると言う、全国唯一の特異点になっています。低いサービスに高い料金のNTTグループには嫌気が差していたし、800MHzの時代もじきに終わりが来るだろうと思っていたのでIDOも論外。ものすごい勢いで基地局の数と電話機の種類を増やしていたこの会社が、今後必ず伸びるだろうと思ったので、最初からデジタルホンしか念頭にありませんでした。
機種選定の決め手は?
当時デジタルホンでは、ケンウッドが一番使いよくて安いと言われていました。でも、人気機種だったために2〜3週は待たされる状態でした。そこでちまきが出した注文は「即納なら何でもよい」だったのです。たまたま即納できる機種が東芝だった、と言うだけの話でして(^^;)ゞ しかし、これが大変使い勝手が良く、当時ちまきの周囲は全員がケンウッド派だったのに、今では全員が東芝派に転向しています。
なにができる?
電話がかけれます…当たり前か(^^;)ゞ メモリーダイヤルはありました。ワンタッチダイヤルもありました。ワンタッチダイヤルは今では見かけない機能ですね、時代を感じさせます。
DP-172を所有中に発信者番号通知サービスが普及し始めたのですが、DP-172の設計はそのサービスの出現を想定していなかったためなのか、着信時に番号の表示ができても名前の表示をする事はできませんでした。
この機の特徴
東芝の、使い勝手最優先の設計思想はこの頃からのもので、現在の東芝機の使い勝手の基礎はすでにこの機には備わっていました。↑ ↓ ←(*) →(#) で全ての操作を実現している点(後の機種でこれが十字キーになる)や、メニュー位置やメニュー番号を覚えなくても ↑ ↓ を押していればそのうち望みのメニューにたどり着ける点など、重宝していました。
おもいで
せっかく大枚はたいて25,000円も払ったのに、実はこの時、まだ自分の家は圏外だったのでした(^^;)
普段は胸ポケットに入れて使っていた(今でもそうです)のですが、前かがみになった時に携帯を落とす事が再三再四あり、そのうち液晶が割れてしまったため、9,000円払って基盤交換をするハメに。当時まだ大変珍しかったストラップにつなぐクリップを求めて秋葉原中を探し回り、胸ポケットでも安全に使える様にしました。
DP-173
東海デジタルホン&東芝 1997年10月機種変
機種変更の理由は
当時は、充電式電池の技術革新がものすごく、携帯もどんどん電池の持ちがよくなっていました。DP-172はニッケル水素電池だったため、電池の寿命を考えた使い方や電池の減りについて気にしながら使わなければならず、面倒に感じていました。また、この頃はヘビーな環境で持ち歩く事が多くなり、DP-172の大きさや重さが邪魔になり始めました。そんな時に機種変の案内が来たので、リチウムイオン電池のこの機種に変える事にしたのです。
なにができる?
録音ができる様になり、留守番電話機として使える様に。メモリーダイヤルも増えました。着信時に名前を表示をする様になりました。バイブレーターがつきました。着信音には着メロ機能がついたのですが、音域が半オクターブしかなくて、ほとんど使い物になりませんでした。
この機の特徴
矢印が十字キーに統合されました。これは当時、東芝以外にはないデザインで、使い勝手が格段によくなり、感激しました。録音機能もこれまた当時、東芝以外にはありませんでした。
おもいで
とにかく留守番電話機能が便利で仕方ありませんでした。これで留守番メールセンターにメッセージを取りに行く事もなくなり、料金的にも大変助かった覚えがあります。
J-T02
ジェイフォン東海&東芝 1999年10月機種変
機種変更の理由は
周囲の皆がDP-174となり、メールが可能になると、ちまきだけがメール非対応と言うのを皆が知らずに、緊急時などに連絡のすれ違いが起こってトラブルになる事が何度もありました。そんな中で機種変の案内が来たので、メール対応機であるJ-T02に変える事にしました。
なにができる?
漢字が使える様になりました。スカイメール(64文字)と、スカイウェブ(スカイメールのシステムを流用したインターネットウェブ)が使える様になりました。着メロ機能は当たり前な音域となり、スカイメロディやメールなどでメロディのやり取りも可能に。E-mailアドレスを取得すればパソコン相手にメールのやり取りも(スカイメールで)できたのですが、基本料金が高かったために、申込はしませんでした。
この機の特徴
DP-173→DP-174→J-T01と、J-PHONEのサービスが増えるのを追いかける形で新機種が出たのですが、液晶の大きさがそのままだったため、どんどん使いにくくなっていました。この機種でようやく液晶が大きくなったわけです。バックライトの色がオレンジなのは、液晶の特性なのか、はたまた省電力のためなのか。それでもまだまだバックライトが電池大食らいだったため、夜間でも暗闇でなければバックライトを使う事はありませんでした。
ちまき的には、DP-172で便利だったのにDP-173で消えてしまっていた機能があらかた復活していたので、この機種は究極の完成された形なんだろうなと思っていました。
おもいで
ちまきがせっかくメール対応機に変えたのに、皆の持っているDP-174は、DP-173に漢字機能とメール機能をつけただけの感じの機種だったため、これでメールを打つのは大変苦痛で、皆はメールは普段使いにはしていなかったのです。つまらないちまきは、構わず皆にメールをさくさく送り続けていたのですが、そのうち皆の間にもメールでの日常会話が定着し、皆も機種変する事となりました。
スカイウェブの方でも、天気予報や乗換案内やドラゴンズ情報や占いなど、無料コンテンツばかりを選んでかなり便利に使っていました。
iモードよりもスカイウエブの方が先!
かなり多くの人が勘違いしている様ですが、ケータイでのウエブ事始めはDoCoMoではなくJ-Phoneなのです。J-Phoneがスカイウエブを開発してサービスする様になってから、それを脅威に感じたDoCoMoがそれをマネしてiモードを開発したのです。
もっともスカイウエブは、スカイメールのセンターが仲介に入る形のシステムだったので、完全なウエブと言うわけではありませんでした。それでも、項目を選んだり文字列を入れたりして送信してそれに対応した画面を返信してもらい、そのやり取りを繰り返して目的の情報を得る事ができたと言う意味では、今のウエブとほとんど変わらない事がこの当時すでにできていたのです。
J-T04
ジェイフォン東海&東芝 2000年11月機種変
機種変更の理由は
ある日、発作的にウェブがやりたくなり、衝動買いをしてしまいました。ただそれだけなんですが(^^;)ゞ
なにができる?
液晶がカラー(STN式256色)になりました。ロングメール(3000文字)ができる様になり、ストレスなくパソコンとのメールのやり取りが可能に。Jスカイウェブ(HTMLベースのインターネットウェブ)が使える様になりました。画像(PNG)のやり取りも可能になりました。着メロは3和音になり、背面にスピーカーがつきました。
この機の特徴
文字入力や編集の機能がきめ細かく強化されていて、メモ帳やクリップボードやカット&ペースト機能などが備わっています。インターネットだってHTMLばりのブラウザだし、パソコンでは当たり前だった機能がど〜んと乗っかっているのを感じた時、ちまきは「この形(ケータイ)が日本人にとってあるべき(来るべき)パソコンの姿なんだ!」と感動してしまいました。
液晶が大変に暗いので、目が悪くなるか知らんと心配になったのですが、慣れてしまえば使えてしまうもんですね。でも、バックライトの設定をOFFにする事は全くなくなりました。画像の送受信はできるものの、メールやウェブに6キロバイトの制限があり、その上JPEG方式は扱えないため、あまりいい絵が送れないのが悲しいです。それでも、待受画面には好きなキャラやMy飼い猫の写真なんかを使って楽しんでいます。
J-T03から先、東芝は若者受けする携帯を目指す様になり、増えた機能も若者が好みそうなものばかりが目立ちます。でも、そんな中にも使える機能が色々あり、アラームに追加された目覚まし時計は重宝に使っています。ちまきは毎朝、「ラジオ体操の歌」で目を覚ましています(自分で譜面を起こして入力しました)。
このカラーリングは
元々の色は白でした。株式会社ヴィノの「透けさん楽さん」と言う携帯ドレスアップ用のシールを買って来て貼りました(2枚使用)。あまりの派手さに、ちまき本人がびっくり。次の機種交換の時には、この携帯は処分する事ができなくなりました。
J-T51
ジェイフォン&東芝 2002年10月機種変
機種変更の理由は
J-T04の暗い液晶やJPEGが扱えない事による画像の汚さにずっと不満だったので、カメラつきに乗り換える事をずっと検討していました。すでにJ-T51が出てかなり経過していたのですが、その後に出たJ-T07の液晶が目を見張るほどきれいだったので、その液晶が搭載されるはずであろうJ-T52の発売をずっと待っていました。しかし、vodafoneとの統合のあおりで5xシリーズ打ち切り&J-T52発売中止との報を受け、J-T51を購入しました。
なにができる?
ステーション対応となり、各種情報を自動的に常時受信、閲覧できる様になりました。JAVAアプリ対応となり、各種ソフトをダウンロードして実行できる様になりました。カメラ付となり、静止画や動画を撮影し、メールでやり取りできる様になりました。画像はPNGの他にJPEGが扱える様になりました。着メロはPCM音源となり40和音となりました。データ通信はこれまでの回線交換方式からパケット交換方式となったため、きめ細かな課金がされる様になり、ちょっとお安くなりました。パケットになったのに伴って、今まで6キロバイトだったメールやウェブの制限も12キロバイトまで拡張されました。
この機の特徴
今までのケータイと違い、ほとんど「電話のできるパソコン」と化しています。この辺の機種が一応ケータイの完成された形と言う事なのか、これ以後に出たケータイは機能的にはたいして代わり映えしないものとなっています。
J-T51はJ-Phoneのパケット機の初代のグループのひとつで、東芝の最初で最後のパケット機です。液晶がでかくてきれいと言うのを最大の売りにしていました。この機種以後は東芝は廉価版(0xシリーズ)と高級機(5xシリーズになるはずだった0xシリーズ)とに別れる様になり、高級機はとにかくCPUの能力が高くて、動作が早く、できる事がたくさん盛り込まれていました。
J-T51のカメラはCIF(352×288)だったのですが、画面の方がQCIF(176×144)なので、11万画素を活かせる撮影ができません。一応CIFでの撮影もできるのですが、メールで送れるサイズに無理矢理圧縮されるので、どうしてもボケボケの画面で保存されてしまいます。時刻表とか地図とかのメモに使えるかなと思ったのに、全然使えません。結局、この画素数は、QCIFでの撮影時のデジタルズームの時に威力を発揮する、と言うだけな使い方になってます。また、ピントは2m固定なので顔はきれいに撮れるのですが、ちょっと遠くなるとやっぱりボケます。カメラの画質については、うちのサイトの特に「黒猫ヤマト日記」辺りにたくさん使ってますので、そちらを見て下さい。
ステーションは大変便利に使っています。この機能は、各基地局が情報を常時垂れ流しにしていて、ケータイがそれを蓄えておくと言う機能です。その地方のリアルタイムな情報が入手できると言う仕掛けで、私は主に天気予報とニュースをいつも見ています。地震の警戒宣言が出た時など、何か特殊な呼出で知らせてくれるらしいのですが、まだお目にかかった事はありません。
JAVAアプリは、機種ごとの互換性がちょっとだけ怪しいらしく、必ずしもひとつのアプリが全機種で使えるとは限らず、J-T51の様に普及率がいまいちでしかも初期のものは、時々使えないアプリに出会います。それでも、電卓はもちろんの事、SameGameとか四川省とかブラックジャックとか「あっちむいてトロ」なんかダウンロードしては遊んでいます。
残念なのは、タイマーやアラームの機能がなくなっちゃったって事。J-T04では時報を鳴らしていたのですが、目覚まし機能を流用すれば使えない事はないものの、かなり無理強いを強いられています。
スケジュール機能がかなり使えそうな気がしたのですが、結構設定や入力がめんどくさくて嫌になり、最初の半月ほどで使うのをやめてしまいました。メモリーダイヤルとかもそうなのですが、やはりパソコンで管理してケータイで使う使い方が一番の様な気がします。J-T51は、パソコンとの連携と言う点ではかなり劣る(ほとんど従来のケータイと同じ。パソコンでの画像の読み出しもできない)ので、この点がとにかく不満。最近の、ケーブルでの読み出しにも柔軟で、しかも赤外線やメモリーカードがついているケータイが、うらやましく思えます。
このカラーリングは
やはりこの子も、J-T04同様に白のボディに株式会社ヴィノの「透けさん楽さん」をほどこしました。
入手年 | 型番 | 幅×高×厚 (mm) | 重量 (g) | 連続通話時間 連続待受時間 | 画面 | カメラ |
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1995年 | DP-172 | 46×145×28 | 160 | 100分 132時間 | モノクロ液晶 10字×2行 | なし |
1997年 | DP-173 | 42×140×25 | 125 | 100分 180時間 | モノクロ液晶 10字×3行 | なし |
1999年 | J-T02 | 40×128×20 | 79 | 120分 300時間 | モノクロ液晶 漢字10字×6行 | なし |
2000年 | J-T04 | 41×125×20 | 73 | 120分 300時間 | STN液晶 8bit色 96×90 | なし |
2002年 | J-T51 | 47×93×25 (折畳時) | 105 | 110分 330時間 | ポリシリコンTFT液晶 16bit色 144×176 | CCD ピント固定 11万画素 |